コラムNo.941 「なぜ席が埋まらない?」が解けた日

「はあ…」

夜の営業が終わった後、田中さんはいつも同じことをしていました。

売上帳をめくって、ため息をつく。

 

10年続けてきた小さな定食屋です。味には自信がある。常連さんにも恵まれている。なのに客席の半分はいつも空いていて、新しいお客さんはなかなか定着しない。チラシを撒いても、SNSを始めてみても、手応えがよくわからない。そんな日々が続いていました。

 

転機はたまたま参加した経営セミナーでした。

講師がこう言ったのです。

「お客さんは合理的にメニューを選んでいません。無意識のクセで動いているんです」

田中さんの頭にスッと入ってきました。

 

まず変えたのは、メニュー表の作り方です。

それまでのメニューは、安い順に上から並べていました。

「わかりやすいだろう」と思っていたのです。でも講師にこう言われました。

「一番上に、ちょっと贅沢な特上定食を置いてみてください」。

 

これがアンカリング効果です。人はメニューを開いた瞬間、最初に目に入った価格を「このお店の基準」として無意識に記憶します。1,500円の特上定食が先に目に入ると、続いて見る900円の定食が「手頃だな」と感じられる。最初の数字が頭の中の物差しになるのです。田中さんが試したところ、これまであまり出なかった中価格帯の定食が、するすると売れるようになりました。

 

さらに、地元の料理コンテストで入賞した際、そのことをメニューの表紙に小さく載せました。味は何も変わっていないのに、初めて来たお客さんが「ここ、ちゃんとしたお店なんだ」と言って注文してくれることが増えたのです。誰が評価したか、どんな実績があるか。それだけで信頼感が一気に変わります。

 

これがハロー効果で、受賞歴・メディア掲載・著名人の来店実績などを「見える化」するだけで、お客さんの第一印象がガラッと変わります。

 

次に、来店を迷っているお客さんへの伝え方を変えました。

田中さんの店では季節ごとに、旬の食材を使った特製ランチを出していました。告知の言葉はずっと「旬の素材を使った季節の特製ランチ、販売中です」。でもある月、たった一言変えてみました。「今月末までのご提供です」。

 

中身も値段も何も変わっていません。変えたのは言葉だけです。それでも月の後半になるにつれ、「まだやってる?」と確認してから来てくれるお客さんが増え、注文数がじわじわと上がりました。「販売中」は背中を押しません。でも「今月末まで」には、終わりが見えます。

 

人は「得をする」よりも「損をしたくない」という気持ちの方が強く行動に出ます。これが損失回避の心理で、終わりを伝えるだけで「じゃあ今月中に行っておこう」という動機が生まれます。

 

言い方ひとつで印象が変わることにも気づきました。ランチセットを「100円引き」と書くより「ワンコイン500円」と書いた方が、直感的にお得に感じてもらえる。

 

これがフレーミング効果です。同じ内容でも、どう表現するかで受け取られ方はまったく変わります。割引率より「わかりやすい数字」、年間より「月々」。相手の頭に自然に入る言い方を選ぶことが大切です。

 

お客さんがお店を探して比較する場面でも、工夫の余地がありました。

田中さんの店のメニューはとにかく豊富でした。「選べる楽しさがある」と思っていたのですが、初めて来たお客さんが「多すぎて決められない……」と困っている場面を何度か目にしていました。

 

選択肢が多すぎると、人は選ぶことをやめてしまいます。これを選択オーバーロードといいます。思い切って「店主おすすめ3品」を目立つ位置に作ったところ、注文が早くなり、テーブルの回転率まで上がりました。

 

コースメニューを「お試し・定番・特上」の3段階に整理したことも効きました。すると自然と真ん中の「定番コース」が一番選ばれるようになったのです。

 

ゴルディロックス効果(松竹梅の法則)と呼ばれるもので、人は極端な選択肢を避け、真ん中を選びたがります。特上コースは「売るため」ではなく「定番を割安に見せるための比較対象」として機能しています。

 

食べログの点数やGoogleレビューの件数が増えると、初めて来るお客さんの反応も変わりました。「レビューが多いお店なら安心だろう」という心理。

 

これが社会的証明の原理です。人は判断に迷うと、他人の行動をヒントにします。「◯名来店」「お客様の声」を店頭やSNSに置くだけで、信頼の土台ができます。

 

実際に注文・来店してもらう場面では、小さな仕掛けが大きく効きます。

田中さんは常連さん向けに、月1回届く「旬の食材セット」の定期便を始めました。一度申し込んだら自動で翌月も届く設定にしたところ、解約する人がほとんどいませんでした。

 

人は「変える・やめる」ことにエネルギーが要ります。現状のままでいる方が楽。これがデフォルト効果です。最初から「続く設計」にしておくだけで、継続率が自然と上がります。

 

「今週は仕込みの都合で限定20食」と黒板に書いた日は、いつもより早く売り切れました。希少性の力です。「限定」「今だけ」「今日だけ」。数や時間を絞るだけで、人は動きます。ただし、嘘の限定は常連さんにすぐ見破られます。実態に基づいた希少性であることが、信頼を守る大前提です。

 

最後に取り組んだのが、来てくれたお客さんが自然と広めてくれる仕組みです。

食後に一言カードを渡し、「感想を書いてくださった方に次回ドリンク無料券をプレゼント」と伝えました。するとカードが返ってくるようになり、中にはSNSに写真を投稿してくれるお客さんまで現れました。

 

何かをもらうとお返ししたくなる。これが返報性の原理です。「誰かに教えたい」「役に立てた」という気持ちと組み合わさって、自発的な口コミが生まれていきます。

 

そして半年後。田中さんの店はメニューも値段も大きくは変えていないのに、客席の埋まり方が明らかに変わっていました。

 

「値引きじゃないんですよね」と田中さんは言います。「メニューの並べ方、告知の言葉、ちょっとした締め切り。そういう小さなことを変えただけで、お客さんの動き方が変わりました」。

 

行動経済学は難しい学問ではありません。「人間ってこういうクセがある」という観察眼を、日々の商売の設計に活かすだけです。まず1つ、やってみてください。

 

迷ったときほど変化を選んだ方がよい。それが、田中さんの店を動かした最初の一歩でした。

    今週の経営コラムを無料でお届け 無料メールマガジン登録はこちら
    よかったらシェアしてね!
    • URLをコピーしました!

    コメント

    コメントする

    目次