ニュースの論点No.940 心理的安全性の誤解

「「武勇伝」「昔話」「君のために」はNG!「無敵化する若者たち」に、上司はいかに語るべきか」2026318日、東洋経済オンラインはこう題した記事を掲載しました。

 

記事では、若手社員が「君のために」という上司の言葉を保身と受け取り、熱い指導をタイパの悪いノイズとしてスルーしてしまう実態が描かれています。

 

かつての若手社員とは明らかに異なる感覚を持つ彼らに、現場のリーダーたちはどう接すべきか苦慮しています。生活に困った経験が乏しく、将来の目標やビジョンも特段持たない。

 

そんな彼らにとって職場は、自己実現を遂げる場というよりは、不快な刺激を避け、自分なりの平穏を維持するための場所になっているようです。

 

ここで浮き彫りになるのが、若手が抱く「心理的安全性」という言葉への誤解です。本来はチームの成果のためにリスクを恐れず発言できる基盤を指しますが、今の現場では「自分の未熟さを指摘されず、嫌な思いを一切しない権利」のように受け取られがちです。この認識のズレが、組織の規律に影を落としています。

 

経営者や上司がパワハラの通報やSNSでの拡散、あるいは離職を恐れ、物分かりの良い上司という「鎧」を着て接すれば接するほど、この歪みは解消されません。顔色をうかがうような姿勢は、若手側に「不快な上司は遠ざけてもいい」という過剰な安心感を与え、結果として仕事への甘さを許してしまうことにも繋がりかねません。

 

中には上司の指導に対して厳しく反論し、教育現場でも校長に対して強い態度に出る教員が現れるなど、役割と秩序のあり方が揺らいでいます。彼らは自らを正しい立場に置き、コンプライアンスという盾を使いながら、自分の快適さを損なうと感じる上司に対して、迷いのない言葉をぶつけてくる場面も増えています。

 

この状況に対し、記事にある「管理職自らが鎧を脱ぐ」という試みは一つの現実的な対応策となります。社長という役職の鎧を一度脱ぎ捨て、相手の「マジうける」といった軽い口調にさえあえて目線を合わせ、自分の失敗談や「今の時代に戸惑っている」という素直な心の内をさらけ出す。

 

完璧な上司という形を自ら崩すことは、若手が構えている防御の姿勢を解くきっかけにもなります。社長が同じ目線に降りて本音で対峙したとき、相手は「倒すべき権威」ではなく「一人の生身の人間」と向き合うことになります。ここで初めて、感情的な反発を超えた本来あるべき対話の入り口が見えてきます。

 

この「鎧を脱ぐ」という行為は、単なる歩み寄りではなく、その若手が「仕事のパートナーとして歩み寄れる人間か」を確かめる大切なステップです。こちらが心を開いて向き合ってもなお、冷ややかな態度を崩さないのであれば、それはもはや個人の性質として、これ以上の深い関わりは難しいという判断の拠り所になります。

 

中小企業の限られた資源を期待に応えようとしない層に注ぎ続けるのは、組織の持続性を損なう懸念があります。真剣に鎧を脱いで向き合い、それでも響かない層に対しては、過度な期待をかけるのをやめる。そして、マニュアルや手順を整えることで、淡々と業務を遂行してもらう仕組みへ切り替えることも必要です。

 

「心理的安全性の誤解」を解くには、経営者が「立派な上司」という理想を一度手放し、生身の人間として向き合う勇気が必要です。事実を受け入れ、誰にどの程度のリソースを割くべきかを冷静に見極めること。これは現代の複雑な現場を支えていくための経営実務のカギと言えます。

 

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