
新たな年がスタートしました。今週から仕事始めの方も多いと思います。この年末年始のまとまった時間で、昨年度の振り返りや新年度の目標などを立てて過ごされたのではないでしょうか。
さて、私もせっかくのまとまった時間を有意義に使おうとあれこれ画策していましたが、珍しく体調を崩してしまい、一切何もできない状況になりました。ここまで長期間何もできなかったのは、人生で初めての経験かもしれません。
多少の焦りはありましたが、さすがに何をする気力も起こらず、ベッドに寝て何もしない日々が続きました。まあ、こうなってしまうと、あきらめの極致になりますね。
ただ、よかったこともあります。すべてが強制的にリセットされたことです。これまで自分でも無意識に理屈で考えるクセみたいなものがあったのが、そもそも頭が働かないので考えることができない。
特に毎年の年末年始は今後のアクションプランなどを考える時間にしていたのですが、そもそもそんな先のことを考える余裕はありません。すべての身体的リソースは体調を戻すことに使われています。
ちょうど弊社の決算期も重なっていましたが、もちろんそれどころではない。気にはなってもどうしようもない。「まあ、何とかなるか」と回復後の自分に期待するしかない。
ということで、すべてが強制的にリセットされ、期間中のすべての計画が白紙になる。ある意味朗らかな気分にもなります。
加えて、周囲の情報や他人の影響なども一切が排除されます。一時的に不安も頭をもたげますが、必然的にまっさらな状態になりやすくなる。グダグダ考える屁理屈頭にストレートな感情が優る。今回体調を崩さなければ、最近では感じることのなかった人間的な感覚。
先述のように、もともと仕事がら論理的な考察に偏りがちで、そればかりだと頭でっかちになり自らの「意思」がなくなってしまう。普段抑え込んでいるのか、やりたいことを考えてもでてこない。まあ、やりたいことを「考えている」時点でズレている気がしますが。
…以上の状態では、やっていて自分自身が面白くない。それが今回の強制的休養によっていい意味でリセットされ、感情の原点が露になったと感じています。
実際のところ、自分の考えなんてものは殊の外シンプルで、普段の忙しさでオブラートに包まれ、さらに周囲の状況や他人の考えによって良いも悪いも相当に影響を与えられ、実際以上に複雑怪奇に見えているだけだと理解が進みました。
今さらながら、情報の戦略的遮断の重要性を感じ、あえて「何もしない時間」の大事さを痛感しました。
忙しさにかまけていると、「誰かの正解」が自分のやりたいことや目指す方向性として誤認されることもあります。「何か違うな…」とズレを感じながら進んだ先に自分が望むゴールはない。
皆さん、お正月休みは終わりましたが、ぜひ「何もしない時間」をつくってみてください。文字通り何もしないで過ごす時間です。価値は余白から生まれます。

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