コラムNo.963 部分最適が全体を壊す

マスコミ各社の報道によれば、米新興企業のアンソロピックやオープンAIの経営トップたちが、政府に対して最先端AIの安全性検証を義務付けるよう求めているとのこと。

彼らは、人間が関与しないAIの「自己改良」が進むことによる暴走リスクや、サイバー攻撃・生物兵器への悪用リスクを警告しています。

「企業の自主的な取り組みだけでは不十分だ」として、開発当事者が自ら政府にブレーキ、すなわち規制強化を求めるという、極めて異例の事態が起きています。

一方、マクロ経済の視点からは、自動化がもたらす市場の歪みが数理的に証明されました。

論文「theAIlayofftrap」によると、企業が競争を勝ち抜くためにAIで労働者を代替して解雇を進めると、個別企業はコスト削減のメリットを得られますが、解雇された労働者の購買力、つまり市場の需要が失われます。

他社に出遅れまいと全社が自動化に突っ込むことで、最終的には自社の顧客や需要すら失う結果となります。論文はこの現象を「AI解雇の罠」と名付け、競争が激しくAIが優秀であるほど、この歪みが深刻化すると指摘しています。

市場の牽引者や一部のインフルエンサーたちは「乗り遅れるな」とアクセルを踏み続けるよう煽りますが、当の開発トップたちは必死にブレーキを探しているのが現状です。この決定的な温度差の正体を知るには、物事を「全体」から俯瞰する視点が必要です。

■「部分最適の集合が全体最適にはならない」というシステムの本質

これらの事実は、ビジネスにおいて「部分最適の集合が全体最適にはならない」というシステムの本質を突きつけています。個別企業が生き残りのためにコストを削減すること、すなわち部分最適の追求は、経営として一見合理的です。

しかし、すべての企業が同じ行動をとった結果として立ち上がる全体(マクロ経済)は、効率的な市場ではなく、誰もモノを買えない機能不全の市場へと反転してしまいます。

これは特定の企業の悪意やエラーではなく、人間が持つ「より先へ進みたい」「競争に勝ちたい」という根源的な開拓の本能が駆動しているからに他なりません。

人類はこれまでも、新たな技術を開拓し、それによって発生した新たな構造的問題に直面しながら、その後に新しいルールや社会契約を構築して適応してきました。

現在議論されている「自動化税」の提案や、政府によるAI検証の義務化、さらには失業や社会混乱を抑えるための課税強化や労働時間の短縮(週休3日制の拡大)の模索などは、本能がもたらしたリスクに対して、社会が新しい防壁を築こうとしている過渡期のサインと言えます。

■経営者に求められる「アクセルとブレーキの哲学」

このマクロな構造を俯瞰したとき、個々の経営者が持つべきは、市場の煽りに流されて盲目的に周囲と同調するのをやめ、自社の立ち位置を冷徹に見極める視座です。

AIという強力なエネルギーの導入そのものに善悪はありません。重要なのは、自社のライフサイクルやフェーズに合わせて、アクセルとブレーキを主体的に使い分けることです。

創業期や成長期にある企業であれば、市場の競争を勝ち抜き、新たな地平を切り拓くために、AIを活用して生産性を高めるアクセルを強く踏み込む必要があります。他社より早く効率化を進めなければ、市場で生き残ることは困難だからです。

しかし、成熟期や安定期にある企業であれば、世間の「AIによる大リストラ」や「全業務の自動化」という煽りに無邪気に応じるべきではないでしょう。

ここで必要なのは、スピードをコントロールし、組織の安定性や顧客基盤を守りながら、従業員をより高付加価値な事業へ再配置(リスキリング)するための「主体的なブレーキ」です。

■俯瞰する眼がもたらすサステナブル経営

市場の牽引者やインフルエンサーたちがどれほど危機感を煽ろうとも、全体を俯瞰する目を持つ経営者は、周囲の狂乱に同調しません。

自社のメーターと市場の構造を冷徹に見つめ、世間は一斉にアクセルを踏んでいるが、我が社は今、適切なブレーキとルールを設計するフェーズだと主体的に判断することこそが、真のサステナブル経営につながります。

部分の合理性に巻き込まれて自滅しないために、まずは全体を俯瞰する。これが激変する過渡期を生き抜く経営の本質です。

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