コラムNo.965 名前の力

騒がしいパーティー会場で、周りの話し声は聞き流しているのに、誰かが自分の名前を口にした瞬間だけ、耳がそちらへ向く。「カクテルパーティー効果」と呼ばれる現象です。人は、自分の名前にだけは、意識していなくても反応してしまう。それくらい名前は特別な言葉です。

「お客様」「部下」「社長」。たいていの呼び方は、その人を大勢のうちの一人として扱います。けれど名前だけは、たった一人のその人を指す。だから名前を呼ばれると、人は自分が見られていることに気づきます。

■売れる人は、名前を覚えている

私はかつてアパレル小売に携わっていました。そこで気づいたのは、売れるスタッフほど、お客様の顔と名前をよく覚えているということです。

会話の中で何度も名前を口にする。それでいて、少しも嫌味になりません。同じように名前を繰り返しても、底に本物の興味があれば興味として伝わり、なければその空々しさのほうが伝わる。回数そのものに善し悪しはなく、中身を増幅するだけなのだと思います。

その差がはっきり出るのが、二度目の来店です。初めての接客なら、誰でも感じよく振る舞えます。けれど次に来たお客様を「先日のあれ、いかがでしたか」と名前で迎えられる人は、ごくわずかです。店を出たあとも覚えていた、という何よりの証明だからです。

お客様が常連に変わるのは、たいていこの瞬間です。覚えるという手間を払った人だけが、この瞬間をつくれます。

■屋号の由来に、本音が宿る

名前への興味は、人だけでなく会社にも向きます。私は初対面の経営者に、社名や屋号の由来を必ず尋ねます。個人の名前は本人が選んだものではありませんが、社名は違う。創業者が、あるいは敬愛する先代が、意志を込めて選んだ言葉です。その由来には、この会社が何を大切に生まれたのかという原点が埋まっています。

興味深いのは、ここで返ってくる答えが、「御社のミッションは何ですか」と正面から問うても出てこない種類のものだということです。

ミッションを問われると、人は立派なことを言わねばと身構え、用意した建前を口にします。ですが由来は過去の事実を尋ねているだけなので、構えようがない。評価されないとわかったとき、人ははじめて本当のことを話します。

だから由来を語るうちに、本当にやりたかったこと、果たしたい使命、目指す姿が、素のままこぼれてくる。立派な額縁に入った理念より、由来を語るときの表情のほうが、その会社の原動力をよく表しています。

■安心が、本音を引き出す

名前を呼ぶことも、屋号の由来を尋ねることも、入口は同じです。相手を知りたい、という興味です。そして相手は、その興味を向けられて安心したときにはじめて、警戒を解いて本音を話します。

さらにその話に耳を傾け、理解したいという関心で受け止めると、相手はもう一段深く心を開きます。順番はいつも、安心が先です。

そしてこれは、規模の小さな会社にこそ向いた武器です。大手チェーンは、お客様の名前を覚える仕組みを持ちませんし、担当も入れ替わります。

一方で町の店、小さな会社なら、常連の名前と「いつもの」を覚えていられる。相手の名前を呼び、その背景を尊重する。その現場でその人にしかできない行為が、中小企業が大企業に大きく優る点の一つです。

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