私自身、執筆や資料作成、ホームページをつくる際にAIを使っています。考えを広げたり、構成を整理したり、たたき台をつくったりするには非常に便利です。今後、AIを使わずに仕事をする場面は、ますます少なくなるでしょう。
ただ、最近、AIでつくられたと思われる資料や文章を見て、気になることがあります。
特にスライドやインフォグラフィック(一目で直感的に伝わる一枚絵)です。文字が小さく、情報が詰め込まれ、図や絵、装飾まで盛り込まれている。作った本人は「よくできている」「きれいにまとまっている」と感じているのでしょう。
しかし、初めて見る側には、何を伝えたいのか分かりません。どこから見ればよいのか、何が重要なのかも分からない。内容を理解する以前に、見る気が失せてしまいます。
文章も同じです。これまであまり文章を書いていなかった人が、突然、長文を頻繁に発信するようになりました。見出しや箇条書きが整い、一見すると充実しているように見えます。
しかし、長い割に中身は薄く、同じ話が繰り返され、誰に向けて書かれているのかも見えてこない。AIでつくったことも、かなりの確率で分かります。
問題は、AIを使っていることではありません。
外に出すもの、人に見せるものなのに、受け手の視点が欠けていることです。
作り手は、AIに指示を出し、何度も修正しながら完成に近づけています。内容も背景も理解しているため、自分にはよく整理されているように見えます。しかし、読み手は初めてそれを見ます。作り手の頭の中にある前提や経緯を知りません。
この違いを意識しないまま外に出せば、伝えるための資料ではなく、自分が作ったものを自分で評価するだけの自己満足になります。
AIは、文章も情報も図も、いくらでも増やしてくれます。だからこそ、使う側の力が表れる。
私は、センスとは選択眼とバランス感覚だと考えています。つまり、「何を入れて何を入れないか」。何を残し、何を削るか。どこまで説明し、どこで止めるか。その判断にセンスが表れます。
ちなみに、センスは「自分の五感を使った経験」が蓄積されたものです。一朝一夕に身につくものではない(天才はほぼいない)。つまるところ、センスを身に着けるには泥臭い行動を積み重ねるしかない。
そのセンスが明確に表れるのは余白。余白は、単に何もない部分ではありません。大切なものを際立たせ、視線を導き、読み手が考えるための空間です。すべてを埋めれば情報量は増えますが、意味まで増えるわけではありません。むしろ、何も伝わらなくなることがあります。
これは、資料や文章だけの話ではありません。会社のホームページ、商品説明、会議資料、顧客への提案書など、経営者が外に出すものには、必ず受け手がいます。
作ることが簡単になったからこそ、公開する前の判断が重要になります。
AIは使い方次第です。そして、その使い方そのものに、使う人の力量とセンスが表れます。
外に出す前に、相手は本当にこれを読みたいと思うか。初めて見ても理解できるか。もっと削れるものはないか。
最後にそこを考え、整えるのは、AIではなく人間です。

