2026年度の最低賃金について、中央最低賃金審議会は7月、熊本県を含むCランクの引上げ目安を56円としました。現在、熊本県の最低賃金は1,034円です。目安どおりなら1,090円になります。ただし、これはまだ決定額ではなく、今後は熊本地方最低賃金審議会で地域の実情を踏まえて審議されます。
今年は、もう一つ重要な変化があります。政府はこれまで「2020年代に全国平均1,500円」という目標を掲げていましたが、2026年の方針では「遅くとも2030年代前半のできる限り早期」としました。
目標そのものを撤回したわけではありませんが、達成時期には幅を持たせています。実際、今年の全国加重平均の引上げ目安は55円、4.9%で、昨年度の66円、6.3%より小さくなりました。
政府の方針にも、最低賃金だけを先に上げ続ければよいという考え方ではなく、労働生産性の継続的な向上や価格転嫁、省力化を進めることが書かれています。
また、毎年の引上げ額は、労働者の生計費、賃金、企業の支払能力という法定の要素を踏まえて審議するとされています。賃上げの必要性と、企業が継続して払える水準の両方を見る必要があるということです。
最低賃金は上がった。しかし生活も同じだけ楽になったのか
最低賃金の上昇は、長い目で見るとかなり大きなものです。熊本県では1996年度の567円から現在の1,034円まで、約30年で82%上がりました。とりわけ近年は急で、2020年度の793円からは30%を超える上昇です。
それでも、働く側から「生活が3割楽になった」という実感が出にくいのには理由があります。熊本市の消費者物価指数は、2020年を100とすると2026年6月で総合113.3、食料は130.6です。
単純比較では、2020年から最低賃金は約30%上がりましたが、食料もほぼ同じだけ上がっています。家計に占める食費の割合が高い人ほど、最低賃金の上昇を感じにくいことになります。
企業にとっては「56円」だけの問題ではない
一方、企業側の負担も軽くありません。仮に1,034円から1,090円へ56円上がった場合、月160時間働く人なら月8,960円、年間では約10万8千円の賃金増です。4人なら単純計算で年間約43万円になります。実際には社会保険料の事業主負担なども増えます。
さらに見落としやすいのが、最低賃金以外の従業員への波及です。新人が1,034円、経験者が1,100円だった会社で、新人だけを1,090円にすると、その差は66円から10円に縮まります。
法律上は既存の従業員まで上げる必要はありません。しかし、経験や技能、責任に対する賃金差を維持しようとすれば、賃金表全体を見直す必要が出てきます。最低賃金が5%上がったから、人件費も5%上がるとは限らないのです。
同じ熊本県でも、影響の重さは違う
しかも、影響は業種によって大きく違います。高い付加価値を生みやすい製造業と、人の手を減らしにくい飲食、宿泊、小売、理美容、介護などを同じ基準だけで見ることには無理があります。
県全体の生産性が上がっていても、その付加価値が個々の飲食店や美容室に移るわけではありません。最低賃金は県内一律でも、支払能力は一律ではないのです。
政府も飲食、宿泊、理美容、クリーニングなどについて、賃上げと生産性向上への支援を特に進める方針を示しています。
だからといって、最低賃金の引上げを止めれば問題が解決するわけでもありません。物価が上がり、人手不足が続く中で、賃金が上がらない会社は採用でも定着でも不利になります。働く側の生活を守るという意味でも、賃上げそのものは避けて通れません。
問題は「いくら上げるか」より、原資をどうつくるか
問題は、その原資をどこから出すかです。
ここで「AIやDXで生産性を上げよう」と急ぐ前に、まず自社の収益構造を確認した方がよいでしょう。
利益の薄い商品やサービスを続けていないか。採算の悪い時間帯に人を置いていないか。長年据え置いた価格はないか。不要な業務を残したまま、効率化だけを進めようとしていないか。
人件費が上がる局面では、売上を増やすだけが対策ではありません。低採算の仕事を減らす、価格を見直す、営業時間や人員配置を変える、業務そのものを減らす。そのうえで、必要な部分にデジタルやAIを使う。順番を間違えると、忙しさだけが増えて利益が残らないこともあります。
最低賃金をきっかけに、事業そのものを見直す
最低賃金の議論は、「高いか、安いか」だけでは捉えきれません。働く人の生活、企業の支払能力、人材確保、物価、生産性。それぞれに事情があります。
ただ、経営者にとって重要なのは、最低賃金がもう一部のパートやアルバイトだけの問題ではないということです。賃金体系、価格、事業の採算性まで見直す必要が出てきています。
最終的な金額が決まってから慌てるのではなく、今のうちに「1,090円になったら、自社の人件費は実際にいくら増えるのか」を計算してみる。その数字から、自社の事業のどこを変えるべきか考えることが、今年の最低賃金改定への現実的な備えではないでしょうか。

