経営者の方と一対一で話していると、かなり率直な話をしていただくことがあります。
会社の数字や人材の問題だけではなく、社員への不満、家族との関係、自分自身の迷い、ときには「本当はこの事業をどうしたいのか、自分でもよく分からない」といった話まで出てきます。
もちろん、それがすべて本音なのかは私にも分かりません。ただ、話し始めたときと、しばらく話した後では、言葉が少しずつ変わっていくことがあります。「実はですね」と、それまでとは違う話が始まったり、本人も話しながら「そう考えると、自分はこう思っていたのかもしれません」と気づいたりすることもあります。
私はこういうとき、本音を「引き出した」という感覚をあまり持ちません。こちらがうまく質問して、相手の中から何かを取り出したというより、話しているうちに自然とにじみ出てきたという方が近いからです。
一方で、同じ経営者との面談でも、金融機関の担当者や別の専門家などが同席すると、場の雰囲気が変わることがあります。
これは、同席する人が悪いという話ではありません。経営者にとっては、私よりも先にその担当者との関係があり、今後の付き合いもあります。そうであれば、「ここまで話していいのだろうか」「以前は違う説明をした」「この人の立場もある」「こんなことを言ったらどう思われるだろう」といったことが、良くも悪くも発言に影響します。
つまり、会社のことだけを考えて話していたところに、周囲との関係や自分がどう見られるかという別の要素が入り込んできます。人が一人増えるだけで、考えなければならないことも増えるのです。
これらのことを考えていると、私は「本音を引き出す」という言葉そのものに、少し違和感を持つようになりました。
質問の仕方はもちろん大切です。しかし、本音には、質問のうまさだけでは届かない部分があります。相手が「どう答えればよいのか」「何を期待されているのか」と考え始めれば、出てくる言葉は少しずつきれいにお化粧されていきます。
これは、私自身がコーチングを受けた経験からも強く感じています。
これまで、いくつかのコーチングを試し、実際にお金を払って継続したこともあります。
その中で特に苦手だったのが、セッションの最後によく聞かれる「今日のセッションで、何か気づいたことはありますか」という質問です。
何もなければ「特にありません」と答えればよいだけなのですが、毎回聞かれると、何となく「今日の時間には何らかの気づきがあるはずだ」という前提を感じます。そうすると、こちらも「何か答えた方がいいのだろうな」と考え始めます。
また、質問をされている途中で、「この人は、たぶんこの方向へ持っていきたいのだろうな」と分かることもありました。ところが相手は、こちらがその意図に気づいていることには気づいていない。
そこで対話を成立させるために、こちらが気づいていないふりをして、少しその流れに乗ってあげることになります。
私にとっては、これがかなり苦痛でした。
本来、自分について考えるための時間だったはずなのに、いつの間にか相手の質問の意図を読み、セッションがうまく進むようにこちらが調整しているからです。
さらに違和感があったのは、質問の技術以前に、「この人は、そもそも私という人間に興味があるのだろうか」と感じることが少なくなかったことです。
こちらの業界を知らないことは問題ではありません。知らなければ聞けばいい。しかし、人そのものへの関心が薄いと、話を聞きながら、いつの間にか自分の知っている分野や得意なテーマへ持っていこうとします。
相手の話を聞いているようで、実際には自分が扱いやすい形に相手を変えている。
これはコーチングに限った話ではありません。コンサルタントでも、専門家でも、上司でも起こり得ることだと思います。
もちろん、コーチングそのものを否定するつもりはありません。質問によって考えが整理され、自分で答えを見つけられる人もいます。ただ、少なくとも経営者の中には、そうした方法が合わない人も少なくありません。
そもそも「答えは本人の中にある」とは限らないからです。
経営者であっても、自社の数字を正確に把握していないことがあります。財務や人事について必要な知識が足りないこともありますし、社員との関係について認識がずれていることもあります。人は自分自身についても、必ずしも正確に理解しているわけではありません。
そんな状態で質問だけを重ねても、本人がすでに持っている知識や思い込みの中を回り続けることがあります。
だから私は、本人が自分で気づくことは大切だと思いながらも、「気づかせよう」とすることには慎重でありたいと思っています。
経営者の話を聞き、これまでの経緯をたどり、数字を確認し、必要ならこちらの知識や見解も伝える。認識と事実が違えば、そこは率直に指摘します。
事実や感情や経験を一つずつ並べながら話していると、こちらが狙っていなかったところから、「そうか、問題はそこではなかったのかもしれない」と本人の言葉が出てくることがあります。
そこで初めて、本人の中で何かがつながったのでしょう。
本音と気づきは捕まえようとすると逃げます。
「本音を聞き出そう」と身構えれば、相手も身構れます。「何かに気づかせよう」と質問を重ねれば、相手は「何に気づくことを求められているのだろう」と考え始めます。
反対に、その人自身に興味を持って話を聞き、必要な材料を一緒に見て、こちらも必要なことは率直に返す。その場に余計な評価や誘導が少なければ、本音も気づきも、こちらが捕まえに行かなくても自然に姿を現すことがあります。
人の内側にあるものを無理に取り出すことより、その人が自分の言葉で考えられる状態をつくる。
本音を聞きたいときも、気づきを促したいときも、まず考えるべきなのは質問のテクニックではなく、その人が余計なものを気にせず考えられる場になっているかどうかなのかもしれません。

