ニュースの論点No.968 言語化だけでは伝わらない

「スマホを触りながらコーヒーを飲むと酸味が変わる中央大の新発見」2026年6月23日、ForbesJAPANはこう題した記事を掲載しました。

中央大学の研究チームが、面白い事実を突き止めました。同じブラックコーヒーでも、ざらざらした手触りのカップで飲んだ後に、さらさらのカップへ持ち替えて飲むと、酸味が弱く感じられる。豆も淹れ方も変えていないのに、手の感触だけで味の評価が動いたのです。

人間は目の前の状況に単純に影響を受けます。温かい飲み物を手渡されると相手を温かい人柄だと感じ、ずっしりした書類を持つと、その中身まで重要だと判断する。理屈ではなく、身体の感覚が、知らないうちに評価を左右しているのです。

私たち経営者にとって大事なのはその先です。コーヒーの実験参加者は、「酸味はどうでしたか」と問われたから、考えて答えました。もし誰も問わなければ、味の違いに気づくことすらなく、日常の一コマとして流れて消えていたはずです。確かに影響は受けていたのに、です。

私たちは普段、ダニエル・カーネマンの言う「システム1」、つまり直感でほとんどの判断を下しています。なんとなく良い、なんとなく心地よい。けれどシステム1は、その理由を持ちません。だからお客様は、あなたの店や商品を良いと感じていても、なぜ良いのかを自分では説明できないのです。

説明できない評価は、本人もすぐ忘れ、人にも伝えられません。良い反応はあるのに、なぜかリピートや紹介につながらない。その再現性のなさの正体がここにあります。

だからこそ、価値の言語化が要ります。お客様が直感で感じ取ったものを、意識して語れる形に翻訳してあげる。言葉になって初めて、価値はその人の記憶に残り、別の誰かへと運ばれていきます。「言わなくてもわかるはずだ」というのは、せっかくの良さを偶然任せにするもったいない姿勢です。

ただし、言葉だけでも足りません。「丁寧に淹れた一杯です」と語りながら、出てくるカップが安っぽく、店内が雑然としていたら、手触りや色合いが、その言葉を裏切ってしまう。お客様の中で認識がずれ、せっかくの言語化が、かえって嘘くさくなります。

言葉と体験は、もともとひとつのものです。言葉は価値の輪郭を、色や手触りや空間は、その色を描きます。輪郭だけでも、色だけでも、絵は成り立ちます。けれど、輪郭がなければ像はぼやけ、色がなければ精彩を欠く。

両方がそろったとき、価値はもっとも鮮明に伝わるのです。会話にも言葉と表情があり、人間の脳が理屈と感情を同時に働かせるように、私たちは言葉と感覚を切り離しては受け取っていません。

価値をきちんと言葉にできている事業者は、たいてい体験の設計もできています。その逆もまた然り。両方の根っこにあるのは、「自社の価値を、自分が本当にわかっているか」という、たった一つの問いだからです。うまく言葉にできないのは、伝え下手なのではなく、自分の価値をまだ掴みきれていないサインなのかもしれません。

「黙って良い物を出せば伝わる」も、「言語化さえできれば届く」も、人間の半分しか見ていません。価値を伝えるとは、言葉と体験をひとつのメッセージにして、お客様という人間まるごとに向き合うこと。自分の価値とは何か。その問いから、すべてが始まります。

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