
まったく同じことを言われても、尊敬する先輩の言葉は素直に受け取れる一方で、苦手な上司の言葉はなかなか耳に入らない。
多くの方に心当たりがあるのではないでしょうか。
「何を言うか」より「誰が言うか」。
以前から知られている言葉ですが、AIが日常的に使われるようになった現在、その意味はより重く、実感を伴うものになっています。
「何を言うか」の「何」とは、知識やノウハウといった、形として表現できるものです。言い換えれば、調べれば手に入る情報です。
インターネットの普及によって情報が大量に流通するようになって以降、この「何」の価値は下がり続けてきました。
現代人が一日に触れる情報量は、江戸時代の一年分、あるいは平安時代の一生分に相当するとも言われています。
生成AIの登場により、この情報量はさらに爆発的に増え、情報そのものは急速にインフレを起こしています。
つまり、「何を言うか」では差がつきにくくなり、「誰が言うか」の重みが相対的に高まっているということです。
ここで言う「何」は、別の言葉で言えば“やり方”です。
一方の「誰」は、その人の“あり方”にあたります。
これからの時代、多くの知識やスキル、すなわち“やり方”はAIが代替します。
無数に存在するやり方を追いかけるよりも、世界に一人しかいない自分自身の“あり方”―使命感、目指す姿、価値基準、姿勢―を整えることが、より重要になっていきます。
ここで視点を変えてみましょう。
「何を聞くか」より「誰が聞くか」。
あまり使われない表現かもしれませんが、「誰が言うか」と同じ、あるいはそれ以上に重要な視点です。
コミュニケーションでは「話す力」が注目されがちですが、実際には「聞くこと」の重要性はそれ以上です。
にもかかわらず現代では、「何を聞くか」という聞き方のスキルばかりが溢れ、本質が置き去りにされがちです。
本当に問われているのは、「この人に聞いてほしい」と思われる存在かどうか、という点です。
「誰が聞くか」は、「誰が言うか」の裏返しでもあります。
そして両者に共通する土台が、信頼関係です。
信頼関係を築くためには、自分自身のあり方が一貫していることが欠かせません。言行が一致していること。相手によって態度を変えないこと。平時でも窮地でも姿勢が変わらないこと。
しかしながら、影響力のある「誰」になるには、時間がかかります。一朝一夕に身につくものではありません。
翻って、人間が持つ「感情・意志・身体」は、AIにはない特性です。
これからの時代、その人固有の“あり方”、すなわち属人性の価値は、ますます高まっていきます。
インスタントな“やり方”ではなく、時間と負荷を伴う“あり方”を整えること。
そのうえで、周囲と丁寧に信頼関係を築いていくことこそ、これからの時代に最も求められる姿勢ではないでしょうか。
情報の波に飲み込まれないためにも、自分自身の「あり方」を磨き続けていきたいものです。

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