コラムNo.987 人はいるのに店が回らない

「あれ、なんで片付けないんだろう」

あるコーヒー店で、たまたまカウンター近くの席に座った。スタッフは4人いる。40代くらいに見えるスタッフが一人、店内をかなり忙しく動き回っている。備品を整理し、掃除をし、返却された食器も片付けている。20代くらいのスタッフが三人いて、そのうち一人は時間のかかる商品を客席に運んだり、ときどき手伝ったりしていた。

気になったのは、残る二人だった。カウンターで注文が入れば対応するが、客がいない時間は二人で話している。その間にも返却された食器は増えていき、何十分たっても片付かない。やがて、次のお客が食器を置く場所にも困るほどになった。それでも二人は話している。お客が来ても反応は遅く、「ありがとうございます」という声もほとんど聞こえない。

もちろん、私はその店の役割分担も、その日の事情も知らない。たまたま見えた一場面だけで店舗全体を評価することはできない。ただ、以前からこの店では食器がたまっていることが多いと感じていた。今回はたまたまカウンター近くから長時間スタッフの動きが見えたことで、少なくとも「忙しすぎて片付ける暇がない」だけではなさそうだと感じた。

「人がいない」と「人が動いていない」は違う

飲食業界の人手不足は事実である。厚生労働省の資料を見ても、宿泊・飲食サービス業の人手不足感は依然として高い水準にあり、中小企業にとって採用難は深刻な経営課題になっている。

だから、サービスが悪くなれば「人手不足だから仕方がない」と説明されやすい。しかし、現場を見ていると、それだけでは説明できない場面も少なくない。

人が足りないことと、いる人が効率的に動いていないことは別の問題である。

例えば飲食店では、往復作業が重要になる。商品を客席まで持っていったなら、帰りに空いた食器を持ってくる。補充に行くなら、途中で不足しているものを確認する。注文が途切れたなら、返却台や客席を見る。一つひとつは難しい話ではないが、こうした小さな動きを積み重ねるだけで、店全体の生産性はかなり変わる。

ところが、これができない人は意外に多い。目の前の作業が終わると、その場で止まる。自分の担当業務に仕事が来れば動くが、仕事が来なければ待っている。注文を処理することはできても、店全体を回すという視点が弱いのである。

仕事が見える人、見えない人

効率よく働くために必要なのは、単なる作業スピードだけではない。周囲を見ること、次に起きることを予測すること、そして目の前にある仕事を「自分の仕事」として拾うことが必要になる。

返却台に食器が積み上がっている。客が置き場所に困っている。別のスタッフが一人で走り回っている。そうした状況を見たときに、「今は自分が洗い物をやった方がいい」と判断できるかどうか。ここには、マニュアルだけでは教えにくい「仕事を見る力」がある。

最近、飲食店に限らず、さまざまな現場でこの力が弱くなっているように感じることがある。もちろん、「最近の若者は仕事ができない」と一括りにするつもりはない。世代だけで能力を断定するのは乱暴である。

一方で、働く側と企業側で、仕事に対する期待がずれていることを示す調査はある。東京商工会議所の調査では、企業が新入社員に特に求めるものとして「主体性」や「規律性」が上位に挙がる一方、新入社員自身が重視する項目とは差がある。

この数字だけで若者の仕事ぶりを評価することはできないが、会社が期待する「仕事の仕方」と、働く側が意識しているものとの間にズレがある可能性は考えられる。

教える側も疲れている

では、上司が教えればいいという話になる。

理屈ではそうだが、現場はそれほど簡単ではない。

「暇なときは返却台を見よう」「手ぶらで戻らないようにしよう」「お客が来たらすぐ反応しよう」「挨拶はきちんとしよう」。一度言えば直る人もいれば、何度言っても直らない人もいる。

注意すれば不満を持たれ、言い方にも気を使う。強く言えばハラスメントを意識しなければならないし、辞められれば、ただでさえ人手が足りない現場はさらに苦しくなる。そうしているうちに、管理者は「もう自分でやった方が早い」と思い始める。

今日見た店でも、一人のスタッフが掃除から備品整理、片付けまで黙々とやっていた。もし、何度教えても周囲が動かない結果としてその状態になっているのなら、その人の負担はかなり大きいだろう。

しかも、自分でやることを続けると、短期的には店が回っても、長期的には悪循環になる。できる人が仕事を引き受けるほど、できない人は仕事を覚えなくなる。すると、さらにできる人に仕事が集中し、教える側もだんだん諦めていく。最終的には、最もよく働く人が疲れて辞めることさえある。

だから、何でも「教え方が悪い」と管理者の責任にするのも違う。教えるべきことを教え、基準を示し、何度か修正しても変わらないのであれば、本人の姿勢や適性の問題として考えなければならない。

昔のサービス水準が高かったのか

もう一つ考えたいのは、「今のレベルが下がった」のではなく、昔の日本のサービス業の現場水準がかなり高かったのではないか、ということだ。

少し前までの職場では、先輩の動きを見て覚えることが当たり前だった。「ぼーっと立つな」「手ぶらで戻るな」「周りを見ろ」「お客を待たせるな」といったことを、良くも悪くも現場で繰り返し教え込まれた。

もちろん、その中には理不尽な指導や過剰な上下関係もあった。それらが是正されてきたこと自体は悪いことではない。

問題は、捨てるべきものと、残すべき仕事の型まで一緒に捨ててしまっていないかということである。

挨拶する。客を見る。商品を運んだ帰りに空いた食器を持って戻る。手が空いたら周囲を見る。誰かに言われる前に、滞っている仕事を拾う。

これらは精神論ではない。サービス業の生産性を支える、ごく基本的な仕事の技術である。

以前は、こうした動きが「普通」として職場の中で自然に身につく環境があったのかもしれない。人を選べる採用環境も今より強く、先輩や上司が仕事の型を細かく教える文化も残っていた。

現在は、人手不足が進み、採用そのものが難しくなった。辞められることを恐れて注意しにくくなる場面もある。教育する側も人手不足で、じっくり人を育てる余裕がない。そう考えると、個人の能力低下だけではなく、普通の人を「仕事のできる人」に育てる職場側の力が弱くなっている可能性もある。

人手不足の前に見るべきもの

飲食店の問題を何でも「人手不足」で片付けるのは危険だと思う。本当に人が足りない店もある。しかし、人はいるのに仕事が回っていない店もある。

そこでは、人手不足だけでなく、仕事の基準不足、教育不足、現場管理の疲弊が重なっている。

一人採用すれば解決するとは限らない。5人に増やしても、2人だけが走り回り、3人が仕事を待っているなら、生産性はほとんど上がらない。

だから経営者は、「あと何人必要か」を考える前に、一度現場をじっくり見た方がいい。

客が途切れた瞬間、スタッフは何をしているか。商品を運んだ帰りに何を持って戻っているか。食器がたまったとき、誰が最初に気づくか。自分の担当以外の仕事を誰が拾うか。そして、客が店に入った瞬間、スタッフはどんな表情で、どれだけ早く反応しているか。

こうした場面には、人員表や人件費率だけでは見えない、その店の実力が表れる。

人手不足は深刻である。しかし、本当に怖いのは、人が足りないことそのものではなく、人が足りない状況に慣れるうちに、仕事の基準まで下がってしまうことなのかもしれない。

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