ニュースの論点No.896 配膳ロボットの価値

「人間を雇うより、どれだけ安上がり? サイゼにすかいらーくも導入「配膳ロボット」の人件費効果を計算してみた」2025109日、ITmediaビジネスONLINEはこう題した記事を掲載しました。

 

外食チェーンの「すかいらーく」や「サイゼリヤ」をはじめ、いまや配膳ロボットの導入は当たり前になりました。記事によれば、すかいらーくでは全店舗の7割、約2100店に導入され、サイゼリヤや焼肉きんぐなども続いています。

また1台あたりの導入コストは約300万円、耐用年数5年とすれば月5万円。電気代を含めても、1日あたり2000円弱で“0.5人分の労働力を確保できる計算とのこと。人件費の上昇や人手不足を考えれば、合理的な投資と言えるでしょう。

 

しかし実際に利用してみると、どこか味気なさを感じます。料理は正確に届きますが、人の気配がありません。かつて「外食=楽しみ」だったものが、「外食=作業」に変わりつつあるように思います。

 

ファミレスやファーストフードは、もはや「おいしい」よりも「失敗しない」「早く済む」場所になっています。現代の消費は快の追求よりも不快の回避が中心です。人は判断の手間や時間の浪費を避け、安心や効率を求めます。

 

言い換えれば、日常はコンビニ的で、非日常だけが人間的になっているのです。安心を手に入れる代わりに、感情の起伏を失っているのかもしれません。

 

DX(デジタルトランスフォーメーション)も同じ構造です。本来は「新しい価値を生む変革」であるはずが、実際には「不快を減らす技術」にとどまっています。書類はクラウド化され、会議はオンラインになり、業務は確かに早くなりました。

 

しかし、仕事そのものは軽くなっていません。むしろ常時接続による疲れや、顔の見えないやり取りからくる孤立感が増えています。DXは、肉体的な不快を減らした一方で、精神的な不快を増やしてしまったようにも見えます。

 

人間は「慣れる」生き物です。新しい便利さもすぐに標準化され、感動は薄れていきます。インターネットが登場しても、生産性が劇的に上がらなかったという生産性パラドックスがそれを証明しています。社会は速くなりましたが、豊かになった実感は薄い。私たちは「少し早くなった」だけで、「意味」はあまり変わっていないのです。

 

象徴的なのは、快の極致であるはずのディズニーランドや万博までもが、不快の回避に傾いていることです。アプリでルートを最適化し、混雑を避け、失敗のない体験を設計しています。便利ではありますが、偶然や驚きといった人間的な瞬間は失われつつあります。

 

1970年の万博が「未知への興奮」だったとすれば、今の万博は「管理された安心」の象徴です。そこに広がるのは、整然としすぎた、予定調和な未来ではないでしょうか。

 

しかし、快にはリスクが伴います。すべてが安全で、正しく、効率的な世界では、人は心から感動することができません。快を極めようとする社会ほど、不快を恐れ、結果として感情の平坦な社会を生み出してしまいます。

便利で、正確で、ストレスがない。それでもどこか退屈に感じるのは、私たちが感じるための摩擦を失っているからです。

 

これからの経営に求められるのは、「何をなくすか」ではなく「何を残すか」だと思います。顧客の不快を完全に取り除くことが目的ではありません。人の温度、偶然の出会い、手触りのある時間。そうした意味ある不快こそが、心を動かし、企業の魅力を生みます。

快適すぎる社会が感動を奪うのだとすれば、経営の役割は不快の中にある快を取り戻すことではないでしょうか。
 

 

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