
「人間を雇うより、どれだけ安上がり? サイゼにすかいらーくも導入「配膳ロボット」の人件費効果を計算してみた」2025年10月9日、ITmediaビジネスONLINEはこう題した記事を掲載しました。
外食チェーンの「すかいらーく」や「サイゼリヤ」をはじめ、いまや配膳ロボットの導入は当たり前になりました。記事によれば、すかいらーくでは全店舗の7割、約2100店に導入され、サイゼリヤや焼肉きんぐなども続いています。
また1台あたりの導入コストは約300万円、耐用年数5年とすれば月5万円。電気代を含めても、1日あたり2000円弱で“0.5人分の労働力”を確保できる計算とのこと。人件費の上昇や人手不足を考えれば、合理的な投資と言えるでしょう。
しかし実際に利用してみると、どこか味気なさを感じます。料理は正確に届きますが、人の気配がありません。かつて「外食=楽しみ」だったものが、「外食=作業」に変わりつつあるように思います。
ファミレスやファーストフードは、もはや「おいしい」よりも「失敗しない」「早く済む」場所になっています。現代の消費は“快の追求”よりも“不快の回避”が中心です。人は判断の手間や時間の浪費を避け、安心や効率を求めます。
言い換えれば、日常はコンビニ的で、非日常だけが人間的になっているのです。安心を手に入れる代わりに、感情の起伏を失っているのかもしれません。
DX(デジタルトランスフォーメーション)も同じ構造です。本来は「新しい価値を生む変革」であるはずが、実際には「不快を減らす技術」にとどまっています。書類はクラウド化され、会議はオンラインになり、業務は確かに早くなりました。
しかし、“仕事”そのものは軽くなっていません。むしろ常時接続による疲れや、顔の見えないやり取りからくる孤立感が増えています。DXは、肉体的な不快を減らした一方で、精神的な不快を増やしてしまったようにも見えます。
人間は「慣れる」生き物です。新しい便利さもすぐに標準化され、感動は薄れていきます。インターネットが登場しても、生産性が劇的に上がらなかったという“生産性パラドックス”がそれを証明しています。社会は速くなりましたが、豊かになった実感は薄い。私たちは「少し早くなった」だけで、「意味」はあまり変わっていないのです。
象徴的なのは、快の極致であるはずのディズニーランドや万博までもが、不快の回避に傾いていることです。アプリでルートを最適化し、混雑を避け、失敗のない体験を設計しています。便利ではありますが、偶然や驚きといった“人間的な瞬間”は失われつつあります。
1970年の万博が「未知への興奮」だったとすれば、今の万博は「管理された安心」の象徴です。そこに広がるのは、整然としすぎた、予定調和な未来ではないでしょうか。
しかし、快にはリスクが伴います。すべてが安全で、正しく、効率的な世界では、人は心から感動することができません。快を極めようとする社会ほど、不快を恐れ、結果として“感情の平坦な社会”を生み出してしまいます。
便利で、正確で、ストレスがない。それでもどこか退屈に感じるのは、私たちが“感じるための摩擦”を失っているからです。
これからの経営に求められるのは、「何をなくすか」ではなく「何を残すか」だと思います。顧客の不快を完全に取り除くことが目的ではありません。人の温度、偶然の出会い、手触りのある時間。そうした“意味ある不快”こそが、心を動かし、企業の魅力を生みます。
快適すぎる社会が感動を奪うのだとすれば、経営の役割は“不快の中にある快”を取り戻すことではないでしょうか。

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